薬物療法をやめて1年

SSRIを全部抜いてから1年経ったと思う。
(頓服は2011年11月くらいまで飲んでた)
当時、薬は危ないという認識はあったが、薬害精神疾患の知識なんてかじり始めだったし、
全部捨てたのは躁状態の勢いでと言った方が正しかった。

自立支援法の医療費減額も、こんな人間とこんな薬なんかのために、誰かが死ぬ気で働いた税金を喰ってるのかと思うと、嫌でたまらなかった。
OD(オーバードース - Wikipedia)は週3くらいでやってしまっていた。そのせいで軽い記憶障害になった。
0.5日のっそり動いて、1.5日寝込む、というサイクル。

しかし、5種類くらい何年間もまともに飲んでるのにちっとも効かないし、よくならないし、
何件か医者を替えても薬を出すだけの事務的な診察も気に食わなかったし、たくさん持ってるから頻繁にODしてしまうし、薬が好きではなかった上に信じていなかった。
どうせ死んでもいいし、どうなってもいいから現状を打破したかったのだと思う。

減薬調整しないで急にやめると離脱症状に苦しむ、と、どんな本にも書いてあるが、私の場合もそうだった。
希死念慮、強い自殺衝動、倦怠感、イライラ、無気力などのいつもの症状が悪化し、
パニック発作も頻繁におきるようになった。

当時出会ったひとの仕事をどうしても手伝わなければいけない状況だったので、*1
効かないとわかっていてもプラシーボ効果を目的に、あるいは自傷行為的に、頻繁に頓服を飲んでは無理矢理苦手な電車に乗っていた。
電車の中でよく泣いた。
今まで以上に倒れることもよくあった。
カーテンレールに首を吊ってぶっ壊したこともあった。*2

生きていても仕方ない、という感情が許容範囲を超え、「年内に必ず死のう」と思って、荷物をまとめたり法的効力のある遺書の書き方を調べたり、
私の死後に 銀行や通信会社や奨学金ウェブサービスの解約などの手続きをスムーズに行なえるように、マニュアルと関係書類を揃えたりした。
人付き合いの不器用な、仕事の上司には、
「誰かにすぐ引き継げるようにしておいてくれれば、別に死んでもいい」と言われていた。*3

しかし実際は、年末大変忙しかったため事務所に寝泊まりし、大変調子の悪いまま耐えて過ごした。
10階のベランダから飛び降りようと何度も思ったが、事務所内に私の姿が見えなくなるとトイレにまで探しにくる上司にがなんだか不憫に思えて実行できなかった。
年明けに父の心筋症が悪化して「そう長くない」ような状況になったのでバタバタしていた。
ちょうど離脱症状が終わったのかもしれない。

そんなこんなでなぜか死期を逃し半年も経った。
でもその間に、心から信頼できる何人もの友人や、いとこや姉に気分転換に外出に連れ出してもらったり、
たくさんの本を読み勉強し、身の程を知るようになったら、実行する気はなくなった。

思いとどまるに個人的にハッとしたことが、次のようなこと。
こんな話、非科学的すぎて信じない者のほうが多数だと思うが、*4
私は霊界真理のような概念をかなり信じている。魂とか霊体とかいった話のことだ。
近年話題のスピリチュアルな話もそのひとつかもしれないが、ルドルフ・シュタイナーの神智学*5を読んでそう思った。
原始仏教*6を勉強してみると、それに多く言及していたりもする。


自殺をしても、身体だけが終わり、精神も思考も終わってくれないことにひどく後悔するそう。
気を狂わせて自分の死体に無理矢理入り戻ろうとする魂が多いのだそう。
今世の課題がやり直しな上に、放棄したという罪を背負って濁った魂になり、来世に挑むのだそう。
生まれ変わる前に、途方もない年月を反省と内省にあてるのだそう。
「なんなら、生きていた方がよっぽど楽だった」と絶望するそう。
だったら、五体満足で賢く容姿も特に悪くない現世をちびちび生きていた方がマシなのでは、と思った。

まあ腑に落ちない部分もたくさんあるので最高真理だと信じ切ってるわけではないけれど、一応「死んでもどうにもならない」と思いとどまる役目は果たされてる。

今でさえ全然生きていたくないのだが、やりたくないことをやらなければいけない時も多々あると思うのでそのうちのひとつだと思ってなんとかやっている。
2日動いて、1日寝込むサイクルになった。


しかし荷が重い。未来が重い。
あと何十年も生きる気はない。
異常な絶望感は大きな症状の一つとわかっているが、鬱病が治ったところで社会は変わんないだろう。こんな救いようのない世の中に大して、こっちの思考傾向が変わったって高が知れてる。
と思ってしまう。

*1:仕事手伝わなきゃいいじゃん、と誰しも思っていたけど、
彼は精神疾患に非常に理解があり、社会問題的、精神発達的な背景から、なぜ私が病んでいるのか詳しく話しながら説いてくれる人だったので、会いにいくことが一種のカウンセリングのようなものだった。
私の得意なデザイン関係の仕事をさせながら、アクティブレスト的に適度に動かしてくれたのだろうと思う。
しかし彼の想像以上に私がぼろくただったと思うので、簡単な仕事も大変つらかったし、単純なこともできないので相当イライラさせてしまったとは思う。

*2:意識を失った後寝込んだ。病院行った方がよかったかな

*3:心的負担を軽くしてくれようとしたのだろうが

*4:霊界真理から分岐して独自の形態を持ったものが“宗教”であり、霊界真理はそれらよりも高次な概念

*5:

神智学 (ちくま学芸文庫)

神智学 (ちくま学芸文庫)

*6:

仏教かく始まりき―パーリ仏典『大品』を読む

仏教かく始まりき―パーリ仏典『大品』を読む

ゆとりと若者についてちょっとした自論

“ゆとり”という枕詞はもはやネタだよね?と思いながらツーチャンネルとか見てる私です。

「新卒就職に失敗したら不安定で将来性のないフリーターになるのが怖い」って、失敗の許されない我が日本国の若者達が言ってます。
いやでも、アルバイトは収入が一定じゃないのは事実にしろ、バイトの身分で突然クビ切られるなんて滅多にないし、むしろどう考えても新卒で会社員(一部の会社の)になった者の多くが低収入で働かされすぎて、そっちの方が将来不安なのでは。
いつ倒産するかわからない。過労死させられるかわからない。
社畜にされてしまう会社員。雇用契約条件は上辺であり、現場の実態を見ればそうなのではと。(社会保険など周辺整備を除いた話。)

全然若者悪くないのに、「ゆとりは根性が無い」だなんだと精神論を押し付ければ、社員教育の名目で過剰労働を正当化できていいね。
無理やり適応させるための理由になっていいね。
ふざけんな。と

しかも、先々の社会問題からメンタル問題に凝縮されてアイデンティティ障害ベースに育った現代の若者たちに、過剰労働から自分たちを守ろうとする能力もモチベーションも無いだろう。


なにも考えずにすぐ「ゆとり乙」とか言う輩、手前の選民意識が癪に障るし、無知ゆえ表面上しか考えられないことを鼻で笑いたいし、許し合いの精神などもちろん持たず商品価値的評価でしか人間を見られないところが完全に現代社会に毒されてて気の毒だし、それらを自覚していないあたり所謂イタい。
なすり付け合いに上手に使えるワードなんだなと。

ゆとり政策自体は、大きな問題でもなんでもないと私は思っていて。
発達心理とか幼少期のメンタルとかそこまで詳しくないけど、この政策を背景にした学校教育がもたらす影響なんて、人間の生まれ持つ探究心や向上心などのポテンシャルの深さから比べたら表面の一層でしかないと思う。
そんなものに単純に学力が影響を受けたりしない。
たったひとつの教育政策、それだけのせいで、無気力な子どもが出来上がるわけがないだろうが、と思います。

教育の面からではなく、学校環境内の人間関係から学ぶこと(少年犯罪とか悪友に影響されてしまうこととか)はまた別として。
それはそのうちテーマにしよう。
でも、若い頃はヤンチャしていたくせに、中年になってから本質的に生きるようになった人を何人も知っている。

社会不適合者を生み出しまくる社会なんて、人間不適合社会だ。
人間らしく生きられるはずがない。

強い希死念慮が長期的に出現するとか、それが慢性化するとか、死について具体的に事細かに考えることって、精神疾患の中でもかなり重症らしいんだけど、あんまりそう思えない。
もうたくさん頑張ったからそろそろいいかと思うんだけど全然許されて無くって容赦ないの。

心底生きていたくないのだけど生きてられるときと、
心底生きていたくなくて本当に生きていられないときがある。最近は前者。
でもやはり生きていたくない。

急性扁桃炎って喉はれて高熱出るやつ、私よくかかって点滴するんだけど、過労が原因なんだって。
やってること大したことなくても、体力に見合ってなかったら過労なのか。
休めということか。

ブログ開設しました

10代前半からブログを書き続け、TwitterなどのSNSも本名を出して長らくやっていましたが、
ビビリな性格ゆえ思っていることを大きな声で言えないので、匿名で脳内を晒す場をつくってみました。

読書や勉強して得たこと、尊敬する人に聞いたこと、友人と話したこと、自分で考えたことが中心です。
心理学や精神疾患、社会問題や世界情勢、思想史や経済論、建築やデザイン全般についていつもぐるぐる考えてます。

以前のブログからいくつか記事を引っ越しました。

鬱キャリアのわたしが動き回り方としてGTDを実践してみることに(※以前のブログ記事)

もともと、ライフハックがなんだとか、仕事術がどうとかいう話が好きなので
情報収集したり、ブログ記事や雑誌があったら買ってみたりしています。
以前から知ってはいたけど実践することはならなかったGTDという仕事術。

この記事をうつ病の私がGTDを仕事術の中心に据えている理由 | Find the meaning of my life.
読んでから、とても興味が湧いたので取り組んでみることにしました。

GTDなにそれ

“Getting Thing Done”は、個人用ワークフローの管理方法のひとつです。
David Allenさんという温厚そうな笑顔の優しいおじさまが提唱したもので、
いわゆる仕事術の中ではかなり有名。ちょうど10年前の2002年から存在するなんてびっくり。
有名すぎて今更感あり。でも気付いたときこそ自分にとっては適ry

いろいろなところでやり方や効果が紹介されているので、そちらを見るとよくわかるし、私も下記サイトで勉強しました。
(本家の書籍はそのうち目を通そうかと。)

探すと他にもいろんなブログ記事があります。

なぜ良いと思ったか

任されてる仕事はあるけど、忙しい会社員じゃないし、ナレッジワーカーでもないし、
「お前に仕事術なんて要るの?」って感じですが、

わたしはGTDを、仕事術というより、“工夫のしかた”や“考え方”と捉えた方が、
イメージとしては近いと思いました。
ストレスやエネルギーのコントロール方法でもある感じがしました。
なので、これは今までのとは違うし、きっと私にも役に立つ。できそう。

そしてGTDでは、“頭の中を全てアウトプットする”という行程があるので、それがとてもとてもいい。
いままでも、Twitterやブログで言いたいこと書いたり細々と発信したりはしていたけれども、
それとは別に、誰にも言えないことは紙に書き殴ったりしてました。

ええ、それが、この仕事術の立派な“収集”というファーストプロセスとして成り立ってしまうのです。

まずこの一番大事な収集プロセスでは、
私は、コーヒー屋さんで4時間出せる限界まで、A4の紙4枚びっしりに書き出し(途中疲れて泣いたり爆睡したりドーナツ2つ食べたりし)、
次の日も、普通に生活しながら思い出したことを0.5枚付け足しました。
2日かけた感じです。
数日かけて集中的に棚卸し作業するらしいのですが、それはそれで負担になりそうだし、出し切る自信もなかったので、
また思いついたら付け足せばいいやと思い、これくらいにしておきました。

それが、やるべきことを明確にまとめてくれたり、今後のビジョンをクリアにしたり、記憶の彼方にいたうじうじぐちゃぐちゃした部分を日光浴させてくれたりするのです。
だいたい、不安なのは、状況がクリアじゃないからです。

いつも行なってる“内観”と“ストレス解消”と“メモ魔”と“ライフログ魔”と
仕事やプライベートで溢れかえっているToDoとを
ひとつに連結してくれた気がするからです。

困った諸症状をカバーできるんじゃないかと期待

健忘の私の代わりに覚えていてくれる

先の記事でうつ病の筆者が書かれているように、
コピーをとるなどといった単純なことでも大混乱するし、簡単なことも覚えていられないのです。
判断力、記憶力が大幅に低下するという困った状態がデフォルトになってしまうので、
わたしなんかは忘れっぽくて友達をいつも困らせていたし、普段からメモ魔だったし、具体的すぎるほどのToDoリストは必須でした。

まずそれに対して、外部脳的に記録しておけるということはかなり楽です。

そして、さまざまなWebサービスと連携させたりして、
思い出したり忘れないようにしたりできるのです。

例えば、収集プロセスでアウトプットしたあと、
リマインダーでiPhoneに知らせてくれるように設定したり、
受注メールが入ったらスターを付けるだけでToodledoに投げられるようにする方法が存在したり、
周辺ツールの使いようによっては全力で私の健忘をカバーしてくれるんですね。すごい時代だ
(もちろんツールは自由なので、紙とクリアファイルなどを用いて実践しているひとも大勢います。)

だからわたしは頭をからっぽにしたまま目の前のことに取り組めるのです。

頭の中でなんとなく宙ぶらりんにいる 気になることやもやもやしたことが、脳のメモリを食って、神経を削ぎ、CPUの働きを悪くし、私という高性能マシン(!)のパフォーマンスを悪くしているのですね。

その日の調子と相談できる

たくさんある項目の中から、
「これなら今日の調子でもなんとかこなせそう」
というものだけ選んでやれば良いので、調子に波のあるわたしでもその状況に合わせて自分自身をうまくハンドリングできます。

できなかったことは次の日にまわしたり、内容を見直したりできるので、
強制されて焦ったりしない感じがとても楽です。

今やる細かいことから、「毎晩薬を飲め」とか、身近なことから、
将来設計、死ぬまでにやりたいことなんかまでも一緒にとどめておけるので
気分や調子でブレブレになりがちな軸を保つ役割ももってるなあとも思いました。

ざっと触れてみたまとめと今後

なんとか頼れるツールと言うか、「生き方」と言ったら大袈裟だけれども
この進み方でいくか、と思えるものに出会えた感じがしてとても嬉しいです。

生き方指南やHowToなどといった“遠くの灯台”は世の中に溢れているけど、
近くにある、この目の前にあるもやもやした霧や足下の石ころをひとつひとつ照らして確認する“懐中電灯”を得た気がします。

理解のおよばないひとには煙たがられがちな精神疾患ですが、
なってしまった以上とりあえずそれに対峙して生きるしかないし、
工夫してカバーできる個所は最大に努力すべきだなと、そう思うのです。

何回も生きるのやめようとしたけど現実そうもいかないし…
目の前のことをこなして少しずつ進んでいくしかないです。

実際はこんなに意気揚々とやっていられるときなんて少ないです。
「うっ…。書くのも元気ない…もぞもぞ」が現実…
けれど、小さな小さなタスクを確実にひとつずつ消化していくことで、必ず自信になります。と思いたい…
私は収集の段階で、あれしたい、これしたい、と思いついたことに対し少し感動しました。
「ああやりたいことあるじゃん死にたいだけじゃないじゃん…」と、なかなか元気になりつつあるのか…と思えました。

まだ導入段階なので、研究しながら自分のものにしていきたいと思うし、
記事にもまとめていきたいと思います。

ああこの記事を書くのに2.5時間かかった…