デザインを学ぶ姿勢

デザイン系学生、リサーチが足りなすぎなんじゃないんじゃないですかね。
圧倒的な情報量を自力で揃えて、それらを吟味と取捨選択しながら本質を追求したら、美しいゴミなんて作ろうと思わない。
創作行為ってそういうものじゃないのか?と思った。

美しいゴミ。
大量生産大量消費社会でぶん回されていくだけのもの。
国力の低い国から搾取するためのもの。貧困を生み出すもの。
本当は誰も欲しくないもの。必要でないもの。
誇大広告にのせられた人々が手を出すもの。
中身がなく自己顕示欲の強い不勉強な“デザイナー”や“クリエイター”が自慰行為さながらにひけらかすもの。

徹底的なリサーチ。
それら全てを五感で受け止めた経験。痛みと苦悩。
そこからの本質的な思考などを無しにして、それどころか展覧会やイベントや既存の芸術に触れることだけに重きを置いているデザイン学生多すぎる。
もちろん感性を磨くことも大事かもしれないが、創造性が伸びるのは前述のリサーチと勉強あってこそ。

クリエイティブってなんだよ。
いかに他人や世界のこと考えられるか。大きな器と愛情から裏付けされた生産的な姿勢だろ。
ユーザビリティも追求してないような小手先の“カッコいいもの”をつくることがデザイン行為じゃないだろ。
“デコレーション”のことを“デザイン”だと勘違い&誤用している人も多し。
様々な側面から対象物をいかに本質的に観察できるか、想像力を働かせるか、
また、他者のためにそれをいかに一生懸命にできるかがいいデザインだし、本当の創造力。


金儲け社会にそれらが打ち消され薄まっている気がして
ちゃんと考えられる人も少なくなっているような気がして。

でも芸術とデザインって似て非なるものである気もして
ユーザビリティの追求のみがいいデザインではない気もして
よくわからない