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世の中を知ること

薬をやめたこと以外に、“このおかげで治りに向かったんだろう”と確信できることがある。
(長いです)

長年の不信感の正体

トリガーとなったのは、2011年3月11日に起きた震災と、その後の上司の教えだった。
世の中に対する不快感と不信感が、震災と原発問題でさらに募ったのだ。
そしてそれを、自らの携える知識で紐解いてくれたのが上司だった。
世の中がどう動いているか。この国はどうなっているか。わたしはどのように生まれ、育児され、教育されたのか。
現代を生きる人間と世の中の仕組みと歴史的背景。
こんなことを教わったのは今までになかった。

当初、ショックな真実ばかりで、上司と話すのも拒絶するくらいだったし、世の中の嫌な問題にしか目がいかなくなってしまい、ますます絶望感が増し、苦しんだ。
正直、当時の調子からしたら無茶な気もした。

しかし同時に、“ここ”がどこなのか明らかになっていくような、妙な気持ちよさと安心感があった。
今この時を生きる人間である限り、真実を知らなければいけない責任や義務を感じたし、ただ単純に知りたくもあった。

それらをきっかけに、さらに掘り下げていくようになった。
一般的な歴史、哲学、政治思想、経済論、戦争、搾取、利権問題(薬に関わるもの、原発、報道、政治)、国内外の社会問題、労働問題、若者と就活、子どもの発達心理、少年犯罪、様々な心理学、昨今の精神疾患の増加とその医学的仕組み、原始仏教、武士道、神智学などの霊界真理、などを学び、自分なりに理解した。
ひたすら本を読んだり論文を読んだり、上司に聞いたり話したりした。*1
それは、しつこく探求的な性格にうまく乗った。
歴史や思想や問題は、思いのほかすべてつながっていたのだ。

今でさえまだまだ不十分だとは思うが、世の中を知ることは、自分の立ち位置を客観的に確認することにこの上なく有効だった。

自分の正しいと思っていたことがほとんど間違っていたと知った。
日本の現代の常識・基準・一般論というものが、実はかなり曲がっているのだと知った。
社会は非常に歪んでいるのだと知った。
そして、世の中のほとんどの人がそれらに気付かずに、歪んだ社会と常識に毒され本質的な人間らしい思考ができなくなっているのだということも知った。

自分はなかなか深く考えられる人間だと思っていたが、もちろんそれも覆された。ひどい傲慢だった。全然偉くない。気持ちが悪い。鼻で笑いたい。
自分がなんと非力で未熟なことか。
知れば知るほど無知で不勉強な自分が露わになり、情けなく恥ずかしくなった。

再び何もかも嫌になった、そのあと

自分の立ち位置がわかったのはよかったのだが、その途端、テレビも新聞も雑誌も流行も広告も石油製品も輸入食品もスーパーも飲食店も街も駅も人もルールも政治も嫌でたまらなくなった。

わたし一人いなくなっても何も変わらないが、わたしがこうして日本という物質的に豊かな国で息をし続けることが多くの(時に非人道的な)犠牲の上に成り立ってるのかと思うと、もう生きていない方がよいと強く思い、絶望感と自殺願望が増大した。
これには半年くらい苦しんだ。
(死んでも楽になれないという話と、優しい友人たちにうまくガス抜きされて何とか細々と生き延びていた。)

その旨を、気の置ける友人に相談たことがあった。
「自分も同様のことで悩んだことがある。しかし、ここに生まれた限りここで生きて生活するしかないのだ。世の中のためになるようなことをしたくとも、生まれ落ちたフィールドを活かすしかないのだ。」
というようなことを言われた。
あっさりと、その通りだと思った。
これはごく最近のことだ。

昔を思い起こせば

小さい頃から死について考えたり、髪の毛や皮膚や爪などを集めて記録したり、形而上絵画*2に激しく感銘を受けるような、変わった子だった。
習い事も卒なくこなし、塾にも通い、いい学校に入っていい点をとっていい大企業に入ることが生きる目的だと、社会にとって都合のいい典型的な刷り込みをされていた。
実際そのように進んでいた。試験点数のための勉強はできた。そんなふうに人格が形成された。

父も若いときからずっと鬱病であるので、遺伝要因として脆弱性が受け継がれたことも多くあるが、
環境要因としてこのような現代の諸社会問題が多いに関係しているのだと思う。

進学校に入ってから、だんだんと不調が病的になってきた。
抑圧は相当なものだったと思うが、非行などには至らなかったのは、フラストレーションが内に向かうタイプだったからだ。
摂食障害になり、自傷をし、電車に乗れなくなり、学校にあまり行かなくなった。
家族にはそれが許されないと思っていたので、バイトばかりして時間を潰した。

強要されてきた生き方が、思考も及ばないような深層部分では信念に反していたのだろうと思う。
いわゆる、この社会に適合できなかったのだ。
積もり積もって許容量を超えた。

そんな人間の役目とは

上司も、「思考停止を脱した人間はチェンジメーカーになる責任がある」と言っていたが、本当にそうなのだろう。
しかし今のわたしには、社会問題を解消するための具体的かつ直接的な活動に参加したりなど、とてもできそうにもないので、そこはもう少し元気になってから進出するとしよう。


今のわたしは、本質的な思考と広く深い知識が得られるよう、謙虚に学び続けることを目標にし*3、同じように苦悩し迷走する若者に少しずつ気付きを与えるような立場にいられたらよいなと思う。

具体的に言うと、精神の不調を訴える子たちに孤独感を与えないこと。“刷り込まれた価値観の覆し”を発生させるようなカルチャーショック爆弾を投下すること。そこから誘発される混乱や迷走にも丁寧に接すること。きちんと気付かせ導くこと、などだ。
そのためにもわたし自身の精神的な熟達と向上は欠かせない。
“日本型アダルトチルドレン”の多い現代の若者の迷走と鬱状態を緩和・改善する方法はそれしかない。

わたしの上司も、わたしとは違った出来事を介してだが、若いときに似たような出来事に当たりショックを受け、本質的に物事を捉えられるようになったのだそう。
そういう大人が近くにいて、そして導き教えてくれたのは最高に幸運だったと思う。

世の中の状態を知りすぎてよりいっそう絶望的(まさに今のわたしみたいに)になることもあるけれど、その根本は、自分の理想が高すぎる性格や、曲がったことや穢れを許せない完璧主義なところもが災いしているのであって、それもバランスよく緩めていくことが必要だと思った。
それはわたしの今の課題である。

病んだからこそ

鬱だったからこそ、世の中の歪みに潜在的に気付いて心を病ませていたからこそ、気づきを得るポテンシャルがあって、そしてこういった過程を経て境地に至ったのだと思う。
病める人が多いということは、同様にそういったポテンシャルを持つ人が多くいるということなのだ。

わたしはそういう人の役に立ちたい。
メンタル衛生兵になることはわたしのライフワークなのだきっと。

*1:どんな説や主張にも、中立的な立場で情報を受け入れるように心がけた。

*2:シュルレアリスムに多大な影響を及ぼしたイタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコが大好きだった

*3:学び学びといっても、何か大きな能力習得のことではなく、気付いたり考え直したり工夫したりという作業のこと