マインドマップいいなあ

ひさしぶりにやってみたけどよいなぁと思いました…

ブランチ(枝)がどんどん展開していく様子が、脳が思考を広げていく機械的な仕組みと非常に似ていて、アイデア出しや考え事の整理にとてもいいんだと以前マインドマップの本で読みました。
これでToDoリスト作ってる人もいるくらいだからやはり“思考”の表現方法として万能のようですね。

わたしみたいな、暇さえあればぐるぐる考え事しちゃうようなひとは、頭の中を棚卸ししてメモリ解放するためにも一旦脳の外に出すことは大事です。
実際、すっきりして肩の荷が一瞬降りるような開放感を感じることができるので、ストレス解消にもなるのでしょう。

これはGTDの“収集”の作業にも使えるかも!素敵


ところで、制作に使うのは「MindNode」というMacアプリケーションです。
最近存在を知ったのですが、直感的に使える操作感とシンプルなところがとても気に入りました。無料版もあります。
iPhoneとtouch版(2012/7現在、850円でした)もあって、MaciPhone間で同期できるから出先でささっと編集したりできるところが評価高いみたいです。
もうちょっとヘビーユーズするようになったらPro版にしてみようかな。

発作的に調子が悪くなったときの自分流対処法についてマインドマップをつくりました

調子が悪くなったときはどうすればいいか。
家にいるときは?予定がある日は?出先で気分が悪くなったら?

いつもTwitterでお話をしてる子が気にしていたようなので、
そういえば以前はどうだったのかまとめてみるのも有意義だと思い、マインドマップでまとめてみました。

内容は超個人的なので対処法と呼べるほどでもないかもしれませんが、わたし自身、迷ったときは経験者の実体験が結構参考になったりしていたので、これも何か役に立てばよいと思います。

ちなみに3年ほど薬物療法を試みていましたが、合わないので2011年10月から一切やめてます。
あと、気分を害する人がいるかもしれませんのであんまり過激なことは省いています。もっともあまり危ないことはしませんが…

ムヒカ大統領のリオ会議スピーチの紹介と感想

twitterで話題になっていました。
とても感動して泣いたので紹介します。ぜひ読んでください。

本当の幸せとは何か。本当の豊かさとは何か。
現代を生きるすべての人間が真剣に考えるべきだと思います。
きれいごとだ、理想論だとむず痒いようで避けてきたようなこれらの話題について、真剣に考えるときが来ているのでしょう。


カネやモノの方が人間より大切であるという価値観が重視され、社会や経済の基盤としてまかり通っている日本・世界であるがゆえ、人間らしく生きられず、苦しむ人がたくさんいます。
心病ませる人のほぼすべてが、これらのせいでしょう。
そしてほとんどの人がそれらに気付きはしても、向き合うことも理解もせず、知らずして心を蝕まれ続け、生きていられなくなり自ら命を絶つか、老いて死んでいきます。

日頃、グローバリゼーションや搾取や過剰な消費が人間の本質とかなり相違することを嘆いていたわたしでしたが、このスピーチは深く心に刻もうと思いました。

立場が悪くなることを恐れカネに目くらましされている日本の政治権力者たちが、このような話題に本質的に取り組む日が来るとは思えない昨今です。
しかし、違和感を持った国民たちが目覚め少しずつ働きかけることで、不正義で凝り固まった世の中をすこしでも動かしていけるような未来が訪れることを望みます。

スピーチ動画(スペイン語、英語字幕)

スピーチ全文日本訳 (訳:打村明さん)

こちらのブログから拝借しました。ありがとうございます。
「リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)」hana.bi by AKIRA UCHIMURA

※個人的に大事と思った部分を太字にしています

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?
可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオセネカアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。最近では6時間働く人が増えています。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。
愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと。

幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。

馬鹿

自分という個体がいかに未熟で愚かか、心底理解していないような人間は無理だ。
傲慢、謙虚さが無いことは罪だ。
そういうのを「馬鹿」というのであり、低学歴や無教養のことではない。

自分という個体がいかに非力で小さく愚かな存在であるのか、気づいていないことは罪だ。

チャーリー・チャップリン史上ベストスピーチ

twitterで昨日見かけた興味深いスピーチ動画を紹介。


これは、1940年に上映されたチャーリーチャップリンの映画「独裁者」の中演説のシーン。
彼自身が書いたものだが、いろいろな言葉に訳され世界中で感動を呼んでいるのだそうな。

動画には日本語のテロップが入っている。その全文は以下。

※ここから拝借しました。
http://technoworks.org/NewWorld/?p=834

全文

結構長いです

申し訳ないが。私は皇帝になどなりたくない。
支配も征服もしたくない。できることなら、皆を助けたい。
ユダヤ人も黒人も白人も。
私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。
お互いの幸福と寄り添いたいのだ、お互いの不幸ではなく。
憎み合ったり、見下し合ったりしたくないのだ。


この世界は全人類が豊かに暮らせるだけの資源に溢れている。
人生は自由で美しい。


しかし、私たちは生き方を見失ってしまった。


欲が人の魂を毒し、
憎しみと共に世界を閉鎖し、
不幸、惨劇へと私たちを行進させた。

私たちはスピードを手に入れ、
自分自身を孤立させた。


ゆとりを与えてくれるはずの機械により、
貧困を作り上げてしまった。
知識は私たちを皮肉にし、
知恵は私たちを冷たく、無情にした。


私たちは考え過ぎ、感じなさ過ぎる。

機械よりも、人類愛が必要なのだ。


賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。


そういう感性なしでは、世の中は暴力に満ち、
全てが失われてしまう。


飛行機やラジオが、私たちの距離を縮めてくれた。
そんな発明の本質は、人間の良心に呼びかけ、
世界がひとつになることを呼びかける。


今も、私の声は世界中の何百万の人々のもとに届いている。

何百万の絶望した男性たち、女性たち、小さな子供たち。
人々を苦しめる組織の犠牲者たち。
罪のない人たちを投獄させる者たち。


私の声が聞こえている人たちに言う、

絶望してはいけない。

私たちに覆いかぶさる不幸は、単に過ぎ去る貪欲であり、
人間の進歩を恐れる者たちの憎悪なのだ。

憎しみは消え去り、やがて独裁者たちは死に耐えるだろう。


人々から奪い取られた権力は、人々のもとに返されるだろう。
決して人間は永遠に生きないように、決して自由は滅びることもない。


兵士たちよ。
獣たちに身を託してはいけない!
君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは
君たちが何をし、何を考え、感じるかを指図する。
君たちを鍛え、食事を制限する者たちは、
君たちを家畜として、ただのコマとして扱うのだ。
身を託してはいけない!
そんな自然に反する者たちなどに。

機械人間たち、
機械のマインドを持ち、機械の心を持つ者たちなどに。


君たちは機械じゃない!


君たちは家畜じゃない!


君たちは人間だ!


心に人類愛を持った人間だ!


憎んではいけない。
愛されない者が憎むのだ。
愛されずに、自然に反する者が憎むのだ。

兵士たちよ。
奴隷を作るために闘うな!
自由のために闘え!

「ルカの福音書」の17章に、
「神の国は人間の中にある」と記されている。

ひとりの人間ではなく、
一部の人間でもなく、
すべての人間の中に、君たちの中にあるのだ。
君たち、人々は力を持っているのだ!


機械を創り上げる力、
幸福を築き上げる力を持っているのだ。

君たち、人々が持つ力が、
人生を自由にし、
人生を美しし、
人生を素晴らしい冒険にするのだ!

民主義国家という名のもとに、その力を使おうではないか。

皆でひとつになろう!

新しい世界のために闘おう!

常識ある世界のために。


皆の雇用に機会を与えてくれ、
君たちに未来を与えてくれ、
老後に安定を与えてくれる世界のために。
(雇用や福祉が保証された世界のために)


そんな約束をして、独裁者という獣たちも権力を伸ばしてきた。
しかし、奴らは嘘つきだ。
奴らは約束を果たさない。
これからも決して、果たしはしない。

独裁者たちは、自分たちを自由にし、
人々を奴隷にする。

今こそ闘おう!
約束を実現させるために。

闘おう!
世界を自由にするために。

国境を失くすために。
欲望を失くし、嫌悪を苦難を失くすために。

理性ある世界のために闘おう!

科学と進歩が全人類の幸福へ、導いてくれる世界のために。

兵士たちよ!


民主主義国家の名のもとに、
皆でひとつになろう!
団結しよう!

わたしが考えること

ちょっと前までは、人類愛なんてユートピアな考えだとか思っていたし、自分のこともしっかりできないわたしには大きすぎて考えていいことじゃないと思っていたが、今は感動するし心底共感する。

逆に、こういった考えを持つひと白眼視したり、脳内お花畑だと笑ったりするひとは、自分の極近周囲のことしか考えられないから、「万人の幸」にも意識が回らないのだろうか、と。
(確かに、無知ゆえの平和主義者もいたり)


「自由のために闘おう」らへんは理想論ぽく思われてしまいそうだが、

  • 「しかし、私たちは生き方を見失ってしまった。
    欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、
    不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
    私たちはスピードを手に入れ、自分自身を孤立させた。」

→ このへんは物質至上主義的価値観を根とする欲深さへの警告だし、

  • 「ゆとりを与えてくれるはずの機械により、
    貧困を作り上げてしまった。」

→ このへんは国力の差と搾取の問題についての真理だし、

  • 「憎んではいけない。愛されない者が憎むのだ。
    愛されずに、自然に反する者が憎むのだ。」

→ このへんは子どもの心の発達とか、戦後からの余裕のないアダルトチルドレン的未熟さをもつ大人たちについて示唆してる。
かなあ、と

すごい、賢いひとなんだな。


現代人のうつは、戦後メンタリティと物質至上主義的価値観ゆえの孤独からきていると思うので
このスピーチ、結構関係ある。